由緒 |
今から千四百年ほどの昔、根岸の海に、突如金色の光が輝き妙なる響きが流れてきました。驚いた人々は沖合いを見つめましたが何だかわかりません。丁度七日目の事、その光明と妙音がしずしずと浜に近づき、八幡川の河口近くに何か着岸しました。とたんに光は消え響きも静まりました。見るとそれは汐にうたれて黒光りした像が亀の形をした台座に立ち、五尺くらいの枯木の根に乗っておりました。古老は「おお、これは神様じゃ、わしらの村を守るために遠くの海からやって来られたのじゃ。」といいました。村人はほっといたしました。早速村の守り神としておまつりする事になり、村おさの家のひと間に安置したところ突然一人の童子が狂い騒ぎ出し五、六尺も飛び上がりして口走りました。「われはこれ正八幡なり、この里鎮護して里人の苦難を救わんとして、千里の浪だだよい来るに、ああ知らずして民家に置けり。早く当浦われ着岸の芝原へ社を建てて遷すべし。」と言い終わるや、この童子は大汗をかいて身震いしたかと思うと、静かに座してもののけはさめました。人々は、驚き、そしてありがたい、ありがたいと喜び合い、まもなく立派な宮をつくりました。八幡川の下流の東岸、今の滝津八幡の所です。誰いうとなく八幡宮と尊称、根岸村の鎮守として、毎年九月十五日に例祭を行い、村民ひとしく崇敬してきました。時代はぐっと下って、江戸時代のはじめ、慶安四年(1651)の検地(土地所有調査)で、ここが滝頭村になったため、それから百年余りたった明和三年(1766)に現在地に御遷宮がなされ、例祭も八月十五日に改められ、今日に至っております。 |